親が『毒親』なら私は『毒子』だ

こんにちは。STOP!ABUSE:管理人の秋好玲那です。
『毎日かあさん』報道、感慨深いものがありました。
このニュースを見て私が真っ先に思ったのは、「母が毒親なら私は毒子だな」ということ。報道では、
今後のネット社会では「子どもが親に勝手にその成長をSNSに投稿されない自由」というのも、議題に上がってくるのかもしれない。
とあり、ネット上でもそういう声が多くありました。私自身も、子どもに限らず、他人のプライバシーをネット上にバラまくのは、よろしくないと思います。
でも、私自身、バラまいている張本人なんですよね。
母のプライバシー
私は、10年以上前から、私の生い立ちについて、あらゆる場所で語ってきました。
それは、SNSに留まらず、新聞、行政機関での講演会や大学のシンポジウムなどで、公にしてきたのです。
私が生い立ちを語るということは、母のプライバシーが無条件にさらけ出されるということ。
この問題について、私は、オンラインまたは全国区で支援活動を行う上で、ずっと向き合ってきました。
アメリカでは、虐待を受けて育った子どもが活動家となり、プライバシーを公にしたことで、母親からプライバシー侵害だと訴えられたケースがあります。
そのニュースを見たときも、「私もいつか、母に訴えられる日がくるかもしれない」と、腹をくくりました。
そして、今回の西原さんの件。
私の母は、私に虐待をした人。つまり、毒親です。母が毒親ならば、母に無断でプライバシーを発信している私は、毒子だな・・・と思いました。
「実名でなければ意味がない」
支援活動が軌道に乗り、私の体験談が広がりを見せたころ、某有名出版社から、書籍出版のお話をいただきました。
おそらく、有名になりたい人、お金儲けがしたい人、多くの人に伝えたいことがある人などにとっては、すごいことです。
だって、自費出版ではなく、商業出版でのお話でしたから。
でも、私は、最終的にお断りしたのです。なぜなら、私が出した条件を受け入れていただけなかったから。私が出した条件は、
- 「お涙頂戴のかわいそうな物語」は書きたくない
- 登場人物は、全員仮名にする
この2つ。
お涙頂戴のかわいそうな本は書きたくない
まず、私は、世間にあるような「かわいそうな虐待児が、心の傷を乗り越えて立派になった」みたいな話は、一切書きたくありませんでした。
他人様から見れば、私の人生は『かわいそう』なのかもしれません。でも、私にとって『かわいそう』は、とても傷つく言葉でした。
また、現実の虐待児は、世間が思うような美しい(といったら語弊がありますが)ものではありません。
部屋の片隅で、膝を抱えて、虚ろな目をして、じっと耐えて、静かに涙を流しているような子たちばかりではない。
問題も起こすし、可愛げもないし、ひねくれてるし、扱いにくい。向かう先が自分にしろ、他人にしろ、攻撃的。
少なくとも、私はそういう子でした。
世間が思う『想像の虐待児』に当てはまらなかった虐待児は、「親が親なら子も子よね」「関わりたくないよね」と言われる。
そんな現実を無視して、悲劇のヒロインを装って、『かわいそう=世間の理想上の虐待児』の本なんか、出したくなかったのです。
それに、そんなにカンタンに、心の傷が癒えるはずがない。
私はいま45歳ですが、まだまだ後遺症は残っています。「傷を乗り越えて立派になった」なんて、口が裂けても言えません。
人様を感動させるような、逆転ストーリーみたいな人生は、歩んでいない。
私は、本を出すのであれば、事実を書きたかったのです。そうしたら、出版社の方に、こう言われました。
「そんなもの、だれも読みたくない」
「世間は、かわいそうな話を求める」
「そういう本じゃないと、売れない」
世間は『人の不幸話』が好きで、その結末が理想の成功で、読み手の心が救われるものでないといけない。
・・・ということでした。たとえば、壮絶な虐待を受けて、いろいろあったけど傷を乗り越えて、弁護士になって虐待問題に取り組んでます、的な。
「だったら、そういう人に依頼すればいいじゃないか。私である必要はない」と言いました。
登場人物は、全員仮名にする
私は、自分の生い立ちを世間に公表するにあたって、『母のプライバシーを無断で世に放つこと』を重く受け止めていました。
母は虐待加害者ですが、まだ健在で、母には母の人生があります。
「私が自分の過去をさらけ出すことによって、だれかの人生を壊すかもしれない」という事実は、私にとって心の重りでもありました。
だって、壊れた人生を取り戻すのがどれだけ大変なことか、私自身がよく知っているから。
だから、せめて母を含め、私の人生に関わった人たちの名前は一切出さずに活動を続けてきました。
虐待を受けていた23歳までの私をリアルに知らない限り、関わった人たちがわからないように。
そんな思いでいたので、出版にあたっても「登場人物はすべて仮名にする」という条件を出しました。すると、出版社からはこう言われました。
「全員、実名でなければ意味がない」
これまで多くの虐待当事者が出版して、ほとんどの人たちが仮名で執筆しているのに、なぜ私は実名でなければならないのか、と尋ねると、
「実名のほうがリアリティを演出できる」
「実名のほうが本気度が伝わる」
「実名のほうが本が売れる」
とのことでした。私は性被害にも遭っているのですが、その加害者も全員、実名であるべきだ、と。
しかも、登場人物全員に連絡をして、「実名公表してもいいか」と確認を取ると言うのです。
私は、母を含め加害者に仕返しがしたくて過去を公表しているわけではなかったし、たかが本を出すためだけにまた加害者たちと関わるのはイヤでした。
それに、加害者たちが「ハイ、いいですよ」なんて言うわけないじゃないか、とも思いました。
「何を言ってるんだろう、この人たちは。全然わかってないじゃないか」と心が閉じてしまい、出版をお断りすることにしたのです。
それでも発信し続ける理由
実は、私が初めて過去を公表したのは、いまから12年も前のこと。5年間、アメブロで発信を続けていました。
当時は、虐待当事者として活動している人も少なく、また活動している人の中に私ほどの虐待経験者がいなかったので、私が目立っていたのだと思います。
あのころは、いろんなことを言われました。
- 虐待という文字を見るだけで気分が悪くなる人がいることも考えろ、目障りだ
- 虐待を受けたヤツは絶対に虐待するから、全員去勢しろ
- 虐待を受けたヤツは、結婚も出産もするな
- 虐待を受けたヤツは連鎖するから、自衛隊に入隊することを義務付けろ
などなど。また別途で記載しますが、そのほかにも、いろんなことがありました。
あまりにいろんなことがありすぎたことと、もうひとつの仕事(コンサル業)が忙しくなってきたことから、アメブロでの発信を中断することにしました。
あれから7年が経ち、こうして新たにブログを開設し、過去を含め発信をしようと決めたときも、母のプライバシーについて考えました。
そして、今回の西原さんのニュース。Twitter上では、
たとえ子どもが承諾しても、デジタルタトゥーとして永遠に自分の幼少期が晒されることは理解していない
子どものプライバシーを晒している親は、その時点で毒親だ
という意見がたくさんありました。それを見て、改めて思ったんです。
「私は、母のプライバシーを晒していることを自覚しているし、永遠に残ることも理解している。その上で発信している私は、やっぱり『毒子』なんだろう」
それでも、いまこうして新たに発信しようと決めた理由は、私を少年院に関わらせてくれた、ある法務教官の言葉があったからです。
「あなたは、生きているだけであの子(虐待児)たちの希望」
その言葉を思い返すたび、私はある人を思い出すのです。私と似た環境に育ち、私に生きる希望をくれ、人生を切り開く術を教えてくれた人を。
もしも、私がだれかの希望になれるのであれば、その可能性がわずかでもあるのなら、その人たちにたどり着きたい。
だから、毒子でもかまわないし、いつか母に訴えられたとしても受け入れよう、と思いました。
私は、今後も出版はしないし、私と関わった人たちの実名は明かさないでしょう。
お涙頂戴のかわいそうな話もしないし、傷を乗り越えた強い特別な人間でもないし、そんな立派な人間でもない。
学歴もなければ、世間が絶賛するようなすばらしい経歴を持っているわけでもないし、輝かしい人生を送っているわけでもない。
でも、いまが幸せであることは、紛れもない事実です。
『何も持っていない私』でも、毎日笑って過ごせている。ただそれだけのことがだれかの希望になるのなら、私は今後も発信し続けようと思います。