「攻撃以外の方法を知らなかった私」に伝えたいこと

「攻撃以外の方法を知らなかった私」に伝えたいこと
管理人のひとりごと

こんにちは。STOP!ABUSE:管理人の秋好玲那です。

あなたは、数字を盲信するタイプですか?それとも、参考程度にするタイプですか?

私は、売上や経費以外の数字は、参考程度に見ています。たとえば、ニュースで示されるアンケート結果、臨床データや研究データなど。

もちろん、そのデータは『間違い』ではないと思います。ただ、調査方法や時代によって変化する側面があるので、盲信するのは危険かな、と思うのですよね。

特に、人の意見が数値化されたときは、慎重にならなければならないと思います。

『少数派の意見=異常』という思考

数字というのは、とても便利です。抽象的なものを具体化してくれるので、理解しやすくなります。

たとえば、「私は高収入だよ」と言われるよりも「私の年収は5千万円だよ」と言われたほうが、信ぴょう性が増しますよね。心理学も、

  • 100人のうち何%がその行動を取るか
  • 100人に〇〇をしたらどんな心理になるのか

といった研究の結果です。そういう意味では、数字って大事です。でも、『数字だけ』にとらわれると、大変なことになるのも事実。たとえば、

『〇〇の実験をしたら、100人中85人が回避行動を取った』

というデータがあったとして、この研究結果からわかることは『85%の人が〇〇に対して回避行動を取る』ということ。

反面、『15%の人は、回避行動を取らない』という結果も判明したことになります。

それなのに、大きな数字だけを盲信して「普通は〇〇だったら××するでしょ、そうしない人は異常」と言ってしまう人がいますよね。

この考え方って、とても危険だと思うんです。

少数派の考えを『正そう』とする人たち

日本は民主主義なので、多数決で物事を進めることが多いです。それはそれで、悪いことではないと思います。問題は、

  • 大多数の意見が『正しい意見』として捉えられること
  • 大多数の意見以外が排除・否定されること

ではないでしょうか。

私は、どちらかといえば少数派な価値観を持っている側だと自覚しています。特に、恋愛面において、女性に共感されることはありません。

  • 頻繁に会わなくていい
  • 用事がなければ連絡もいらない
  • 2人の時間より自分の時間を優先したい
  • 会ってない間、相手が何をしてても気にならない

といった私の価値観を話すと、ほとんどの女性陣から非難囂々です。

 

「そんなのおかしいよ!」
「本当に好きじゃないと思う!」
「人を愛せないんじゃない!?」

 

などなど、さまざまな形で責め立て、ひどい人は人格否定にまで及びます。たしかに、私は女性の中では少数派の価値観だと思いますが、

 

吹き出し|秋好玲那
玲那
大多数が持っている価値観と違うからというだけで、そこまで言われる筋合いはないのでは・・・?

 

と、モヤモヤするのですよね。それを口に出すと、さらに攻撃がヒートアップするので言いませんが、

『少数派の意見=おかしい』とする考えは、人を傷つけ、苦しめ、ときに人の立場や心を追い込んでしまうのではないか、と危惧してしまうのです。

多数派を苦しめる『少数派』の暴走

それと同様に、『少数派の暴走』も目につくようになったと思います。

少数派が理不尽な扱いを受けるようなことはあってはならないし、少数派が声を上げることは重要です。

それまで知らなかったこと、気づかなかったことを知る機会になるし、だれかの意見や価値観を知ることによって、自分の価値観の確認もできます。

これまで自分が持っていた『普通』の概念が覆されることで、自己成長の機会にも恵まれます。ただ、

  • 〇〇だから気遣うのが当然だ
  • 〇〇だから配慮されるべきだ

と、あまりにも強く主張されると、違和感を抱かずにはいられなくなります。

極端に言えば、少数派であることや弱者という立場を振りかざして、攻撃しているように見えてしまう方々が、一定数いる。

私は弱者だから周りが〇〇すべきだ!

たとえば、私は虐待を受けて育ち、経験した内容としては、日本全体で見れば、少数派だと思います。若いころは、

 

「私は虐待を受けて育ったのだから、周りが私に〇〇すべきだ!!」

 

みたいな考えを持っていて、周りに嚙みつきまくっていました。

いま思えば、当時の私にとってはそれが唯一の身を守る術でしたが、間違った考え方だったと思います。

立場を振りかざして強い主張を押し付ければ、周りは何も言えなくなってしまうし、本来背負う必要のない負担を背負うことになるからです。

理解を求めるのであれば、自分の意見を押し付けているだけでは進まないどころか、相手は心を閉ざしてしまいます。

これって、お互いに消耗するだけで、あまり意味がないと思うんですよね。

議論が生まれるきっかけとしてはいいかもしれませんが、理解を求める方法としては有効ではないのでは?と。

まとめ

長々と書きましたが、

『多数派の意見にしろ、少数派の意見にしろ、その意見をもとに、だれかを攻撃していい理由にはならない』

と、いまの私は思います。私自身が、身を守る術として他者を攻撃していたので、余計に。可能ならば、過去の自分にも、

「伝える方法、わかってもらう手段はたくさんあるのに、攻撃する以外に道を知らないというのは、もったいないよ」

と、教えてあげたいですね。傷つけたくない人を傷つけることは、とても苦しいことだったと思うので。

もし、あなたが過去の私のように、だれかを攻撃することでしか自分を守れない、気持ちを伝えられないでいるとしたら。。。

『大切にしたい人』を傷つける前に、私に連絡してきてください。

秋好 玲那

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北九州市在住の被虐待当事者です。 2000年から、少年院やグループホームなどで被虐待者の自立支援及び相談業務を行う傍ら、児童相談所などでの講演活動、大学など...

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