【生活保護】私と母親の違い

【生活保護】私と母親の違い
体験談

こんにちは。STOP!ABUSE:管理人の秋好玲那です。

私の母は、生活保護を受けています。

いつから受けているのか、正確なところはわかりませんが、私の知る限りでは、少なくともここ3年は生活保護受給者です。

私が26歳のとき、母は「将来、体が動かなくなる」と診断されました。病名はたしか『筋萎縮性側索硬化症』だったと思います。

一方、私はこれまで、生活保護を受けたことは一度もありません。

24歳のとき、半年ほど目が見えなくなったことがありますが、それでも生活保護は受けられませんでした。

生活保護を受けられた母と、受けられなかった私の違いは、

  • 医師の診断書の有無
  • 扶養者の確認
  • 時代

の3点です。

医師の診断書の有無

病気が原因で仕事ができず、生活保護を受ける場合、診断書が必要になります。

「〇〇という病気で、働ける状態ではない」という、『医師のお墨付き』が重要なのです。

母の症状

そういう意味では、母は医学的見地から明確な症状が出ています。又聞きではありますが、現在の母は、

  • 1~2cmの段差も上がれない
  • 歩き出すまでにものすごく時間がかかる
  • 物をつかめない(指や手が開かない)

など、身体に著しい症状があります。人嫌いで、人に頼ることがまったくできない母が、介護ヘルパーを依頼するくらいなので、症状はかなり重いようです。

だれが見ても、身体障害者の母。だれが見ても、働けない状態の母。『医師のお墨付き』はカンタンにもらえました。

私の症状

私の症状は、

  • 目を開けると一面真っ白
  • とにかく眩しい
  • 光(眩しさのレベル)はわかるけど人や物が見えない

という感じでした。眼科医は、

 

医師
医師
瞳孔が開きっぱなしなので、症状が事実であることはたしかだと思う
医師
医師
でも、原因も不明、疑われる疾患もない
医師
医師
こんな症状は見たことがない

 

と言っていました。そこで、眼科医に勧められた神経科や精神科へ行きましたが、どの医師からも『詐病』と言われたのです。

▼ 詐病とは

実際は病気でも何でもないのに、人を騙す目的で意識的に病気を装い、利益を得ようとすることを言います。

利益とは、たとえば、生活保護受給、障害者手帳交付、刑事訴追からの逃避などが挙げられます。

仮病と似ていますが、仮病は風邪など軽度の病気を装うことを言い、詐病はもっと重度な病気を装います。

そして、どの病院からも「病名がつかない以上、診断書は書けない」と言われました。

まあ、詐病と判断した時点で、そもそも診断書を書くつもりはなかったでしょう。

そういうわけで、私は身体症状があるにもかかわらず、診断書が出ませんでした。

※後に、解離性障害と診断されました。

扶養者の確認

生活保護を申請するにあたり、保護課から親族に「援助できないか」という連絡が入ります。それを嫌って、申請を躊躇する人もいます。

私と母は、ここにも大きな違いがありました。

扶養者への連絡を断った母

母が生活保護を受給する際、保護課の担当者は、私に連絡を取ろうと思えば取れたはずです。

携帯番号や電話番号はわからなくても、住民票を動かしているので、郵便物での扶養確認は取れたでしょう。支援の場でも、

「郵送で確認書類が届くけど、扶養拒否(不可能)で送り返してくれれば対応するので」

というやり取りをすることがあります。

ところが、私には、何の連絡もありませんでした。おそらく、母が強く拒んだのではないでしょうか。

「20年も音信不通になっている娘だから、頼れないし、頼りたくない。連絡もしてほしくない」という話をしたのではないか・・・と推察しています。

扶養者への連絡を恐れた私

私は、生活保護を申請するにあたって、「とにかく親族に居場所がバレるのはイヤだ」と思っていました。

私が失明状態に陥った当時は、まだ実家から住民票を動かしておらず、親族は、だれも私の居場所を知りませんでした。

生活ができるかどうかよりも、とにかく親族と接点を持ちたくなかったのです。生活保護申請をするとなれば、

  • 親族に連絡が入って状況を知られる
  • 住民票を動かさなければならない
  • どこで何をしているかバレる
  • 親族が私にコンタクトを取ってくる可能性が上がる

というのが、私には恐怖でしかなく、どんなに説得されても、頑として受け入れませんでした。

これも、生活保護を受けられなかった大きな要因のひとつです。

時代

支援の制度やルール、支援への世論は、時代によって刻々と変化していきます。

昔はOKだったものがNGになったり、その逆が起きたり、昔よりも今のほうが厳しい・緩いなどがあるものです。

生活保護においても、そういった変化はあります。

私が失明状態だった時代

私が失明状態だった20年前は、うつ病という言葉が一般的に浸透し始めたころでした。

今とは比べ物にならないほど「うつ病=怠け病」と言われた時代。かつ、精神疾患に対する理解度も、現在とは雲泥の差です。

そんな中で、私の症状が『解離性障害』だと診断できる医師は、どれだけいたでしょうか。

また、生活保護に関しても、『恥ずかしいこと』という意識が、今以上に強かったと思います。

『生活保護=人生詰んだ人』みたいに、社会復帰は絶望的といった風潮がありました(もちろん、私の周囲の話です)。

母が生活保護を受けた現代

私が失明状態にあった当時と比べ、今は格段に生活保護への印象が変わりました。

もちろん、不正受給や社会復帰のむずかしさなど、まだまだ多くの問題を抱えてはいますが、世間一般的にも、

  • 本当に必要な人には生活保護を支給すべき
  • 本当に必要な人は生活保護を申請すべき

という認識になってきたと感じます。つまり、『生活保護=恥ずかしいこと』ではないという風潮になってきました。

※申請する側が「恥ずかしい」と思ってしまうことはまだまだ根強くあります。

また、生活保護から社会復帰への道のりも、以前に比べると、選択肢は増えました。

そういった価値観の変化も、母にとっては、生活保護申請へのハードルが下がるきっかけになったでしょう。

 

このように、生活保護に関して私と母には、時代や環境、条件など、さまざまな違いがありました。

もし、この時代に私が失明状態になっていたら、医師の診断書ももらえただろうし、生活保護申請への抵抗も少なかったかもしれません。

何より、現在は虐待やDVなどに対する理解が進んでいるので、事情次第では、親族への連絡も配慮してくれるケースが増えています。

まだまだ課題はありますが、必要な人に必要な支援が行き届くよう、セーフティーネットが正しく活用されるよう、切に願います。

現在の私が思うこと

最後に・・・

私が母と縁を切ってから、20年以上の月日が流れました。母は生活保護受給者であり、私は収入のある扶養義務者です。

法的に見れば、私には母を扶養する義務があり、経済的には扶養可能です。

でも、いま時点では、母を扶養することはできません。これは、私たち親子がこれ以上傷つけ合わないためにも、そうすべきだと考えています。

私のように、親と絶縁状態にあり、親が生活に困っても、何らかの理由で関わりたくない・扶養したくないという方もいるでしょう。

その経緯には、さまざまな出来事、さまざまな思いがあって、ほとんどのケースは好き好んでそんな選択をするわけではありません。

迷わず「助けたい」と思える親なら、どれだけよかったか―。

そんな思いでいる人も、大勢いると思います。中には、その選択を咎められ、さらにイヤな思いをした人も少なくないはずです。

でも、私たちのような虐待経験者にとっては、生活保護という制度があるからこそ、親と離れて我が身を守れているという側面もあります。

「それでも親なんだから」と言うのはカンタンですが、親子だからこそ、うまくいかないものです。

こういうケースもあることを、知ってくだされば幸いです。

 

P.S.いつか、本当の意味で心の整理がついて、母と会っても大丈夫だと思える日が来たら、改めて扶養するか否かを検討したいと思っています。

秋好 玲那

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北九州市在住の被虐待当事者です。 2000年から、少年院やグループホームなどで被虐待者の自立支援及び相談業務を行う傍ら、児童相談所などでの講演活動、大学など...

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